水谷静夫著
                          『意味記述体系』

                             郡司  隆男

1 はじめに

本書は意味論の「原論」でなく、その記述法、すなわち方法論を解説したも のである。といっても、意味論の方法論の入門書でも概説書でもなく、著者が 長年にわたって使用し、成果を挙げてきている独自の方法論を、「分量の制限 や表記法の拘束やらに縛られずに」書いた (p. iii) ものである。著者にはこ れより以前に構文論の著作 (水谷, 1991) があり、この後に『待遇表現論提要』 (水谷, 1995) の刊行を見たので、いわば三部作の中の中核として位置付けら れよう。

本誌第183集に「決して分かりやすい書ではない」と紹介されており、著者 自身も「決して早分りする手の本でない事」を承知していると述べている (p. ii) ように、論理学や数学に無知の読者がすらすらと読み通せるような本では ない。しかし、論理式が頻出するのは、「電子計算機での処理に耐へる明晰さ を有つ」(p. iii) 意味の扱いを著者が望んでいるからにすぎず、決してこけ おどしではない。

本書は全 11 章と 2 つの附録からなる。以下にその見出しを並べる。

  序                                第零章  序説
  第一章  親族名の体系的釈義        第二章  意味記述体系
  第三章  語類別の釈義法パターン    第四章  代名詞の語釈
  第五章  相的補語の釈義法          第六章  辞の釈義法
  第七章  記述法の方略若干          第八章  真偽に関はらない文の意味
  第九章  見立て表現の意味          第十章  文章進行に伴ふ意味
  附録I   本書で使ふ形式言語        附録II  連糸理論
本書自体が形式的な道具立てについて語るものであるが、本書で使用する道 具立てそのものについて興味のある読者および深く知りたい読者はまず附録に 目を通しておくのがよいと思う。そこで解説されている、古典的一階述語論理 (著者の用語では述項論理)に基づく公理論的集合論に立つ論理になじみのあ る読者には、附録Iを読まずとも、いきなり本章を読み進むことも困難ではな いが、附録IIで解説されている「連糸理論」は著者独自のものであり、「連糸」 および、その「引用」は本書全体の中心的な対象であるので、まずきちんと理 解しておく必要がある。

古典的一階述語論理にも公理論的集合にもなじみのない読者にとっては、本 書の附録は初心者向けの補遺ではないので、これを読んだからといって本章が 読みやすくなるわけではない。しかし、そのような読者にとっても本書は有用 であると思われるので、次の点を強調しておきたい。

  1. 本書の例文はほとんど、著者が実際に小説などから採取したものであり、 現実に日本人によって使われている文の形式的な意味論的分析の実例を 見るということだけでも価値のあるものである。著者が「序」で言うよ うに、「自分の作例にたよるオモチ ャ 版や日本語《断片》版の如き」 (p. iii) にとどまらない、適用範囲を確認できる。
  2. 形式論理式の多くは自然言語で読み下しができるものであり、そのよう に読み下してみると、例えば、国語辞典の語義をややくどくしたものの ようにも読める。そのような「読み」はしばしば著者が式の直後に与え ているので、それを信頼して読み進めていけば著者が提示したことの概 要をつかむことは可能である。
  3. かりに、形式的に提示された「結果」に興味がなくとも、そのような結 果に至るまでの道すじを興味深いと思うことがあるかもしれない。実際、 伝統的な様 々 な文法の方法論および欧米の言語学の方法論に対する著 者の辛辣な考え方が随所に見られ、それだけでも興味深く読める。

以下では、この大著を評するという大任に与えられた枚数も評者の能力も限 られていることから、ページ数にして本章の約1/3を占め、かつ、著者自身が 唯一「閉ぢた系として提示しえた」という、第一章の親族名の釈義例をいくつ か取りあげ、なるべく形式的詳細によらない形で本書の特徴を解説していきた いと思う。

2 親族名釈義の例

日本語の親族名の体系は、一夫一婦制を仮定し、離婚も死別もなく、実の親 子に関係を限れば、比較的単純である。本書の形式的体系は、そこから出発し ながらも、養子や婚姻外関係までも含め、それに旧民法の「家」までも対象に し、日本語の親族名称をほぼ網羅的に扱っているので、大変豊かな体系となっ ており、かつ一見複雑になっている。

しかし、例えば、「実子」の定義に見るように、その具体的な記述はさほど 複雑ではない。「実子」は次のように定義される (p. 18, 定義3)。

    (1) <a,b,c> ∈ 実子 ≡ ∀t(<a,b,c,t> ∈ B)

これは、B という無定義クラスの存在とそれに付随する公理さえ認めれば、 「実子」という語の意味はそこから自動的に定まるということを述べている。 B に付随する公理を踏まえた直観的な読みに従って上を読み下せば次のように なる。

    (2) a が b と c の「実子」であるとは、人 a が男 b と女 c との間に時 
        t において“生誕”という関係にあるような t が存在すること(すな
        わち、a が b を父親、c を母親として或時 t に生まれたこと)であ
        る。

すなわち、B は直観的に“生誕”という読みを与えられることを想定して本書 の論理体系はできている。無定義要素なので定義はされないが、B の関係にあ る 4つ組に対して、第1 の項は“男”ないし“女”であり、第2の項は"男”で あり、第3 の項は“女”であり、第4の項は“時”であるということ、および、 第1の項は第2、第3の項とは異なるということが公理によって保証されている。 もちろん、これだけの条件を満たす4項関係は無数にあるが、他の公理と合わ せて実質的に B の外延を制限するという構成である。

このような無定義要素として、他に“死"、"事実婚"、"行為"、"正式行為"、 "意図"、および“看做し”が仮定されている。これらはとりあえず親族名の釈 義に必要なものに限っていると思われるが、第一章で扱われている親族名称の 多様性に比べて、驚くほど少ないと言わざるを得ない。著者の意図は決して、 還元主義に立つものではないと思うが、日本語の語彙のある範囲のほぼ全貌が 非常に限られた論理的な語彙でほぼ語りつくされるということが実証されてい るようにも思え、一種の爽快さを覚える。

しかし、本書の論理の表現能力が高いのは、無定義要素の選択が賢明である からということもあろうが、独自の連糸理論の採用とクラス論理そのものの表 現能力の高さによるところも大きい。以下に、もう二つばかり、本書の方法論 の特徴がよく出ていると思われる、さほど複雑でない例をあげて、この点を指 摘したいと思う。

「結婚」の定義には、まず「婚姻中」というクラスを定義する (p. 22, 定 義5)。

    (3) <a,b,c> ∈ 婚姻中 ≡ <a,b,c> ∈ C ∧ <<a,b,c>,C> ∈ S

ここでの無定義クラスは“事実婚”の C と“正式行為”の S だが、 公理に よって規定されるこれらの直観的な読みに従うと上は次のように読める。

    (4) a と b とが c において「婚姻中」であるとは、男 a と 女 b とが時 
        c において“事実婚”の状態にあり、彼らのその時の“事実婚”が
        “正式行為”であることである。

ここで“正式行為”は個体の組とそれが属するクラスとからなる対(2つ組) の間の関係として導入されていることに注意されたい。本書で仮定しているク ラス論理においては、個体も、個体の組も、個体のクラスも、何らかのクラス のクラスも、すべて同等の資格で、他のクラスの要素である組を構成すること ができる。これによって、論理全体を一階述語論理の体系に納めながら、「高 階論理の実質が取り込めるばかりか, 使ひ様によっては様相論理風な振舞ひも させられる」 (p. 199) のである。(ちなみに、岩波国語辞典第五版による 「婚姻」の釈義は 「社会的承認を経た(法律上正式の)持続的な男女関係」 である。)

この「婚姻中」を用いると、「結婚」はごく普通の一階の論理式で容易に定 義できる (p. 22, 定義6、初版本の明らかな印刷ミスを1箇所訂正してある)。

    (5) <a,b,c> ∈ 結婚 ≡ ∃s(s<c ∧
        ∀t(s≦t<c ⊃ <a,b,t> \not∈ 婚姻中)) ∧ <a,b,c> ∈ 婚姻中
       

念のために読み下しておくと、次のようになる。

    (6) a と b とが c において「結婚」するとは、時 c より前に男 a と女 
        b とが「婚姻中」でない期間があり、かつ a と b とが c において
        「婚姻中」であることである。

さて、先の「実子」に基づくと、「実親」は次のように定義され る (p. 18, 定義4)。

    (7) <a,b> ∈ 実親 ≡ ∀x(<b,a,x> ∈ 実子 ∨ <b,x,a> ∈ 実子)

すなわち、

    (8) a が b の「実親」であるとは、人 b が 人 a と誰か女 x との間の
        「実子」である場合か、b が 誰か男 x と a との間の「実子」である
        ことである。

「養親」は「実親」に基づいて次のように定義される (p. 40, 定義12)。

    (9) <a,b,c> ∈ 養親 ≡ 
               <a,b> \not∈ 実親 ∧ <「<a,b> ∈ 実親\rceil, {a,b},c> ∈ R

すなわち、読み下せば次のようになる。

   (10) c において a が b の「養親」であるとは、人 a が人 b の「実親」で
        なく、かつ、時 c において、「a が b の「実親」であるということ\rceil
        を、a 、b がともに“事実と看做す”ことである。

ここで、「\rceil は本書の連糸理論に基づく「引用」である。R というのも無定義 要素であるが、その直観的な読みである“事実と看做す”からわかるように、 これは、一つの言語表現に対応するクラス論理での表現と個体(の集合)と時 とからなる 3 つ組の間に成り立つ関係であり、言語表現そのものではないが、 そのクラス論理での表現自体も論理の対象にできることが本書のクラス論理の 大きな特徴である。そこで、この体系の有効性が発揮される例を次節で別の角 度から取り上げたいと思う。

3 「指し方」としての意味

引用を適切に扱える連糸理論に支えられた本書の論理体系の特徴が最もよく 出ているのは、私見では、第八章である。ここでは平叙文(著者の構文論では 述態文)以外の疑問文・命令文・感動文などが取り扱われている。これらはい ずれも、文の意味として単純に真理値をもってあてることができず、意味を 「指示物」とするような安易な理論ではもて余すような類いの文であるが、本 書のやり方では、例えば、命令文や疑問文に対しては“要求”という無定義要 素とそれに伴う公理を適切に導入することによって、平叙文と同様の意味表現 を与えることができる。その具体的な形は繁雑になるので再掲しないが、その 読み下しは、「確認要求質問」に対してはおおむね次のようになる (p. 169)。

   (11) 「C か\rceil の意味は、「C\rceil の“成否値”が存在するならばそれを「聞き
        手が話し手に“告げる”こと\rceil を話し手が聞き手に対して“要求”する
        ことである。

ここで、“要求”という無定義要素を導入しながらも、その項となる4つ組の 中の要素として登場する要求内容は引用の形で導入されていることが重要であ る。欧米の言語学で一時、performative analysis と称して、疑問文の基底の 構造として「話し手が聞き手に〜と質問する」という形を想定する分析があっ たが、 このやり方の失敗の原因はすべてを対象言語の中に埋めこんでしまっ たことにあった。本書の方法論ではそのような問題点が慎重に回避されている。 このような方法論の真価は第九章でも発揮されている。

「指示物」としての意味ではうまくいかないことに関連して、第七章で触れ られている、fuzzy 論理 (Zadeh, 1965) の評価について一言述べておこう。 従来、自然言語は「曖昧」であるとよく言われてきた。もし本当にそうである ならば、本書のとるような形式的取り扱いにとっては著しく都合の悪いことに なる。いわゆる fuzzy 論理は、自然言語の「曖昧さ」をうまく取り扱うこと ができる体系として提案されたが、その基本姿勢は本書のとる方法論とは相入 れないように思える。その点で、著者がこれに対してどのような態度をとるの かに関心があったが、第七章の最後の節での著者の主張は「意味のおぼろかさ」 とされているものの多くは「指し方」(前述のように、本書での「意味」とい うものの基本的なとらえ方である)の多様性ではなく、「指示物」(これは意 味ではない)の多様性にすぎないということである。

例として「中年」という語が取り上げられているが、この語の意味は、概略、 「若年より年長で老年より年少であること」と定義されている。もちろん、こ の定義は「若年」「老年」を所与のものとはしているが、人間の年齢の区分に これらが存在することを認める立場に立てば、それらとの関連において「中年」 の意味は明確である。つまり「中年」が何歳から何歳までということは明確で ないが、一話者ないし一社会で「若年」「老年」との関係においての「中年」 の位置付けは安定して「おぼろかさ」はないという主張である。

本書のように、意味を「指示物」でなく「指し方」ととらえることにより、 他との関係において、いわば状況に依存する形で意味を規定することが可能に なるのである。

4 欧米の哲学との関連

本書は著者が自ら言うように「参考文献漁りは程々にした」(p. ii) ために、 先行研究として引用されているものは少ない。また、引用されているもののう ち、海外のものは Quine, Reichenbach などの哲学者の文献のみである。

欧米の言語学でも意味論の研究は多くは哲学者によって先行的な研究が行な われ、言語学者が遅ればせながらそれについていくという形が続いてきた。そ の意味では、哲学者の著作を中心とした本書の参考文献にはうなずけるところ がある。欧米でも、本書の第五章で論じられている、比較を基本に置く形容詞 の扱いに関しては、Cresswell (1974) などが副詞に対して同様の扱いを提案 しているし、p. 133で連用修飾に関して言及がある Davidson (1967) が event logic を提案しているが、これらはいずれも哲学者の業績である。

しかし、本書にはほんの少ししか顔を表わさない部分にも欧米の哲学との関 連性が存在する。本書は、構文論と一対一の対応によって意味論を組立てると いう、Frege の原理に拠っており、第零章で橋本文法流の「文節」による構文 論では意味論との対応がうまくいかないことが指摘される。その代わりに、水 谷 (1991) に基づく構文解析図が示されるが、この構文論は、1930 年代の Ajdukiewicz 以来の範疇文法の分析と通じるところがあり、またその記法その ものも範疇文法の最近の一般的な記法と共通している。

範疇文法は、アメリカ構造主義の流れを汲む生成文法が用いる構文木が幾何 学的なシステムであるのに対して、代数学的なシステムであると言えるが、著 者の構文論も代数的なシステムであるのは意味論とのつながりを考えるとむし ろ当然のことであると言えるだろう。

このような欧米の哲学者の研究との親近性を見ると、著者の立場と、著者が 随所で辛辣に批判する欧米の言語学との関係が浮きぼりになるようで興味深い。 後者の例として著者が念頭に置いていると思われる、生成文法の特に主流と目 されている理論は意味論に冷淡であることがよく指摘されるが、生成文法を含 む欧米の言語学の中でも、意味論に真剣に取り組もうという一派は、哲学者の 先行研究に多くを負っている。「国文法」という枠組から出発した著者が独自 に同じ道をたどったということも偶然ではないだろう。

5 おわりに

以上、評者の力不足もあって、比較的平明な部分のみを取り上げ、本書の真 価を伝え得たとは言いがたいが、著者による日本語の意味の形式的記述体系を 見てきた。形式的な記述をすることの利点はどこにあるのだろうか。形式言語 は正確ではあるが、一定の訓練を受けた者でないと直観的には理解できない。 それに対して、日本語などの自然言語の方が、直観的に理解しやすそうに見え る。

しかし、形式論理も、もとはと言えば、人間の論理的な思考の一定のパター ンを抽出したものにすぎない以上、人間が実際に行なっていることと無縁では ないはずである。むしろ、高度の知的洗練をもった一部の人間にしか間違いな しに遂行することが可能でなかった推論が、形式的操作の導入によってごく普 通の万人に可能になったのである。つまり、一部の天才にしか可能でなかった 「わざ」を普通の人が誰でも手にすることができるようにしたものが形式論理 である。

その意味では、初期の「慣れ」の段階を耐え忍ぶことさえできれば、 むし ろ、形式的体系は、その形式性ゆえに、誰にでも、いや高度の知的洗練とは無 縁の「電子計算機」にさえも、容易に操作することのできる、便利な道具であ ると言える。

はじめに述べたように、本書は決して初心者に優しい書ではないが、これを きっかけに形式的体系の価値が再認識されることを期待したい。

参考文献

Cresswell, M. J. (1974).
Adverbs and Events. Synthese, 28, 455-481.
Davidson, D. (1967).
The logical form of action sentences. In Rescher, N. (Ed.), The Logic of Decision and Action, pp. 81-95. University of Pittsburgh Press, Pittsburgh.
水谷静夫 (1991).
『稿本 国文法大体』. 東京女子大学 日本文学科.
水谷静夫 (1995).
『待遇表現論提要』. 財団法人 計量計画研究所.
Zadeh, L. (1965).
Fuzzy sets. Information and Control, 8, 338-353.

(平成7年7月20日発行 秋山書店刊 B5判横組 238ページ 2884円)

                                                   −大阪大学助教授−