Human Beings and Information (Friday, 06-Jun-1997 16:03:30 JST 改訂版)

人間と情報

郡司 隆男
(大阪大学言語文化部)

1997年度大阪大学開放講座
1997年10月14日
(豊中市立アクア文化ホール)

1  人間の誕生

言葉の研究は通常書かれた文字によってなされる。現代語の研究だと、テー プレコーダーなどによって音を直接記録に残すこともできるが、古い時代の 言葉だと書かれたものしか手がかりがない。 ところが、言葉も古すぎると、文字による記録がない。例えば日本語は 中国から漢字が入ってくるまで、それを書き表わす文字がなかった。 したがって、6世紀より前の日本語の姿は正確にはわからない。しかし、日 本語は6世紀より前から存在した。

世界の他の言語を見ても、文字で一番古いのがエジプトの象形文字やメゾポタ ミアの楔形文字だが、せいぜい、紀元前数千年よりさかのぼることはない。 しかし、人間はそれよりはるかに以前より言葉を話していたと考えられ ている。

現在の人類は、ホモ・サピエンスという種で、類人猿と共通の祖先から分かれ たものであるとされている(図1 参照)。ホモ・サピエンスがいつ 発生し、どこから来た かということについてはいろいろな説があるが、今から約20万年くら い前にアフリカで生まれて世界に広がっていったという説が有力のようだ。

ホモ・サピエンスより前にはホモ・エレクトスという、少し古いタイプの種が いた。エレクトスというのは「直立」という意味で、他の類人猿と比べて、 立って歩くという点に人間らしさが出はじめたのだろうが、この種は、今か ら約180万年に生まれたものの、その後、絶滅して、ホモ・サピエンスにとっ て代わられた。

この2つの種の化石を比べた結果、言葉の能力について随分違っていたのでは ないかと考えられるに至っている。もちろん、先に述べたように、当時の言 葉がテープレコーダーに録音されているわけではないし、文字の発明よ りもはるかに前のことだから、化石だけが手がかりだ。骨の化石にまざっ て 当時の言葉の化石が出てくると嬉しいが、残念ながら、そういうこ とはない。

しかし、骨の化石でもいろいろと手がかりを与えてくれる。手足の化石は運 動能力がどのようなものであったかを教えてくれるが、言葉の研究の手がか りは頭蓋骨から得られる。特に顎の部分の骨格から、どのくらいの速さで口 を動かすことができたかが専門家にはわかるという。

その結果、ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスとの間では、言語をあやつる 能力に関して大きな違いがあることがわかった。ホモ・エレクトスでは音 声言語はほとんど発達せず、多くは身振りに頼っていたらしい。

ホモ・サピエンスの中にも、現在のわれわれに直接つながるものと、そうでな いものがある。ネアンデルタールという名前を聞いたことのある人もいるだ ろう。これもユーラシア大陸の西の端にいた、ホモ・サピエンスの一種だ が、われわれはこの直系ではなく、ネアンデルタールは、その後、今から約10 万年前に登場した、クロマニヨンといわれる人類(ホモ・サピエンス・サピエ ンス)にとって代わられることになる。

図1: 類人類の系統樹 (松沢, 1995 などによる)

人類は、ネアンデルタールのころから、音声言語を使っていたと考えられてい る。しかし、ネアンデルタールとクロマニヨンとの間では、1分間に話すこ とのできる単語の数に大きな違いがあることがわかってきた。ネアンデル タールはせいぜい1秒間に1語しか発することができなかったという。これで は、われわれ現代人の数分の一程度で、とても実用にならない。音声だけで は情報を伝えきれず、身振り手振りを多用していたと考えられる。音声言語 だけで情報を十分に伝えることができるようになったのは、クロマニヨンになっ てからだろうと考えられている。

2  言葉の誕生

ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスとの間、あるいは、ネアンデルタールと クロマニヨンとの間で一体何が変わったのだろうか。われわれは、言葉を生ま れてから数年以外に獲得し、そのことに何の苦労も感じないのが普通なので、 言葉というものがいかに大変な発明であるかということに気付きにくい が、ここで、言葉を獲得する以前の身になって考えてみよう。

ホモ・エレクトスよりもさらに人間から遠い、現在の類人猿を見てみると、チ ンパンジーなどでは、喉の奥の構造が違う。言葉の音声は、声帯という、 喉の奥の筋肉の対の間を肺からの空気が通り抜けることによって生じる。チ ンパンジーにもこのような声帯はあるので、「声」を出すことはできる。し かし、それがあまり大きな音にならない。

声帯が震えただけでは、とても音が小さくて、他人 の耳にまで届かないのだ。そこで、人間の場合は、喉の奥、声帯の上の部分に広 い空間があって、そこで共鳴を起こして他人の耳に聞こえる音にしている。 ギターやバイオリンの共鳴箱のようなものが声帯の上にあると考えればよい。 ところが、類人猿の場合には、声帯の上の空間はほとんどなく、そのまま、口 や鼻につながってしまう。共鳴させる部分がないのだ(図2 参照)。また、チンパンジーの場合には、喉を通る空気がほとんど鼻へ抜けてしまい、 口から出る空気はごくわずかだという。つまり、彼らはいつも鼻声で話 していると考えらていれる (正高, 1987)。ちょっとやってみればわかるが、 これでは遠くの人と話をすることはできない。


(a) 人間        (b) 類人猿
図2: 喉の概念図

ホモ・エレクトスも同じような喉の構造であったと考えられている。面白い ことに、人間の赤ん坊も1歳くらいまでは声帯の上の空間が狭く、類人猿と同 じような構造になっているそうだ。それが、1歳をすぎて、直立して歩くよ うになると、声帯の位置が下がり、その上に大きな空間ができて大人と同じよ うに大きな声が出せるようになるという(直立前の赤ん坊の泣き声は、どう やって出しているのか、随分大きく聞こえるが)。よく、「個体発生は系統 発生を繰り返す」と言われるが、人間の赤ん坊も1年の間に何百万年かの進 化の過程を体験するわけだ。

3  類人猿の「言葉」

日本語をはじめとして、世界の多くの言語では、5つの母音を使いわける。 母音も、喉から出た音を声帯の上の空間で共鳴させて、大きな音にし てそのまま口から出したものだが、その際に、空気の通り道の途中にある舌を 様々な 位置で上げたり下げたりすることによって音色を変えることができる。自分 では気付かないことが多いが、「イ」という場合には、舌の先の方が上 がる。「ウ」という場合にはその逆に舌の後ろの方が上がる。舌をす べて下げると「ア」で、「イ」と「ア」の中間の音が「エ」、「ウ」と「ア」 の中間の音が「オ」だ(図3 参照)。

図3 母音と舌の位置

世界の言語の中には、日本語より少ない、4つとか3つとかの数の母音しか使いわ けない言語もあるし、英語のように、日本語よりはるかに多くの数の母音 を使いわける言語もあるが、大体、母音の数は 3 から 9 くらいの間に納 まる(表1 参照)。このとき面白いことは、母音の種類は 数と無関係でなく、5母音ならば、ほとんど日本語と同じ5つの母音になる。上で 説明したように、この5つは、いわば等間隔に並んでいて、互いに異なった音 として聞きやすいので、当然と言えるだろう。したがって、もし母音が3つ しかなかったら、「イ」「ウ」「ア」の3つになることが予測されるし、実 際そうなっている。

表1: 母音の数の分布 (Crothers, 1978 より)
母音数言語数
323
422
564
640
728

ここで、類人猿の場合を考えると、まず、5つもの母音を明瞭に聞きわけたり 発音しわけたりすることはできない。チンパンジーだと、3つぐらいまで は聞きわけができるようだが、その場合も、人間の言語の3つの母音とは異 なり、「イ」と「ウ」、「エ」と「オ」は区別して聞きわけることができない という。つまり、舌の高さの違いはわかるけれど、前後の区別ができないの だ。また、自分で発話できるのは、「ア」「ウ」「オ」の3つに限られ るということが観察されている (小嶋, 1991)。

つまり、類人猿は、声帯の上の共振させる空間が小さいことに加えて、そもそ も数多くの言語音を認識しわける能力をもっていないということになる。 もっとも、チンパンジーよりも人間に近いといわれるボノボ(ピグミーチンパ ンジー)の場合、アメリカで育てられているものには、英語を聞きわけること ができるという報告もあるので、いちがいには断定はできないが (サ ベージランボー, 1993)。

類人猿の喉の構造や母音の聞きわけの限界がわかる前は、彼らに人間と同じ音 声言語を教えるという無駄な試みがなされた。今では、それは無理だとわ かっているから、別の手段が試みられている。ホモ・エレクトスもそうで あったように、身振り手振りで言葉に似たものをあやつることができないかと 考えて、手話や様々な図形のパネルを用いた「言葉」を教えることが試みられ ている。ちなみに、手話には手話の文法がきちんとあり、専門的に見て、音 声言語と全く同じ資格で「言語」と呼ぶことができる。音声言語の話者が補 助的に用いるだけの身振り手振りとは違う。したがって、チンパンジー が人間の用いる手話をマスターできたら、それは言葉をマスターしたというこ とになる。

このような、チンパンジーに手話を使わせたり、図形のパネルを並べさせて 「言葉」を話させるという研究や、最近では、コンピュータにつながった大き めのキーボードを押させるという研究がいくつかある。日本でも京都大学 の霊長類研究所のアイが有名だ (松沢, 1991, 1995)。アイは ものの名前だけでなく、色や代名詞の記号を覚え、最近では算用数字や漢字も いくつかは直接読めるようになったという(図4 参照)。このように、 なかには相当賢いチンパンジーもいるのだが、言葉をあやつる能力になると、 どうしても人間の3, 4歳の子どもにはかなわない、というのが今までの研究の 結果であるようだ。これはいったいなぜなのだろうか。

(a)手袋
(b)錠前
(c)歯ブラシ
(d)茶(色)
(e)りんご
(f)かれ
図4: アイの使っていた図形文字 (松沢, 1991 より)

4  言葉と遺伝

結論を手短かに言ってしまうと、人間にはあって類人猿にはないものがあるか らだ。それは、成長するにつれて言葉を使うことができるようになる能力だ。 人間の子どもも、生まれたばかりでは言葉を使うことはできないが、先 に述べたように、1歳ぐらいになって直立歩行をするようになると、喉の構造 が変わり、言葉として用いる音を、大きく、明瞭に発音することができるように なる。そして、2歳から3歳になるにしたがって、1語文と言われる、1つの 単語だけの文(例えば「マンマ」「オモチャ」)から、2語文と言われる、物 の名前やそれに対する行為を組み合わせた文(例えば「ワン イヤ」(犬 嫌) 「パパ ゴホン」(パバのご本)「ママ アッチ」など)に発達していく。

2語文や3語文程度は、チンパンジーでも図形言語で表現することができるよう になる。しかし、3歳をこえた子どもは急速に複雑な文を話すようになる。 例えば、「カヨ オタンジョウビクルト ヨッツニ ナルノ」というよう な、条件を表わす文が、より大きな文の一部分として埋め込まれているような構 造の文が、4歳近くの 子どもによって発せられているのが観察されている (岩淵他, 1968)。 類人猿にはとてもこのような複雑な文を図形言語で表現することはできない。

これはどうしても遺伝的なものだと考えるより他になさそうだ。類人猿はい くら頑張っても人間と同じ顔付きにはならない。毛深さもなくならない。 こういう形態的な差が遺伝によるとすることには誰も異存はないだろう。で も、言葉も遺伝すると考えると、いくつか問題がないわけではない。

一つには、子どもは必ずしも親と同じ言葉を話すようになるとは限らない、と いうことがある。もちろんたいていの場合、子どもは親と一緒に暮らすので、親 と同じ言葉を話すようになることが多いが、そうでない場合もある。 例えば、両親の話す言葉と家の外で人が話す言葉とが違う場合、子どもは2つ の言葉を同じような流暢さで話すようになる。いわゆるバイリンガルだ。 これが極端な場合になると、生まれてすぐに両親と離れて、両親と違う言葉を 話す環境で育てられた子どもは、両親の言葉は話すようにならず、回りの環境 の言葉だけを話すようになる。つまり日本人を両親にもつ子どもでも、遺 伝的に日本語しか話せないのでなく、回りの環境によって話せるようになる言 葉が変わるわけだ。

これは言葉が遺伝的なものだという考え方に対して強力な反例のように見える が、逆に考えてみれば、回りの環境に合わせてどんな言葉でも話せるように なるということは、子どもには遺伝的に、どんな言葉でも学ぶことができる能 力があるのだということを物語っているとも考えられる。

また、環境が子どもが獲得する言語を完全に決定すると考えると、子どもが、 親が教えもしない、独自の言葉を作り出すことが説明できない。子どもはたい てい、可能形として「書けれる」などの言い方をするが、これは「れる」に可 能の意味があるということに気付いていて、それを過剰に一般化して使ってい るのだとすると説明できる。子どもは決して親の口まねで言葉を覚えるのでは ないのだ。大体何人の親が子どものお手本として言葉をしゃべっているだろう か。

実際、言語学者はそのように考えている。「親がなくても子は育つ」と言うが、 「親が教えなくても子は言葉をしゃべる」のである。これは、結局、子どもに は、人間として遺伝的に伝わる、言語に関係した部分があるからだろうと考え られる。それが何であるのか、どのような形をしているのか、ということに関 しては、残念ながら、今の段階ではあまりはっきりしたことは言えない。また、 わかったとしても、それは非常に抽象的なもので、あらゆる言語の核のような ものであろうと考えられている。

近年、脳のまわりの磁気を測定するなどの方法で、人間の脳の中で何が起こっ ているのか、特に言葉を使っているときの人間の脳の活動はどのようなものな のか、ということがだんだんわかってきた。まだまだ、非常に大雑把なこ としか言える段階にないが、21世紀中には、人間にとっての究極の情報 伝達メカニズムである言葉と、それをあやつる脳について、今よりずっと詳し いことがわかっているだろうと期待したい。

参考文献
Chomsky, N. (1988).
Language and Problems of Knowledge. MIT Press, Cambridge, Mass. 田窪行則・郡司隆男訳, 『言語と知識(言語学編)』, 産業図書, 東京, 1989.
Crothers, J. (1978).
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郡司隆男 (1994).
『自然言語』. 日本評論社, 東京.
小嶋祥三 (1991).
チンパンジーの聴覚と音声. 『情報処理』, 32 (11), 1174--1183.
正高信男 (1987).
サルはヒトのように発声できるか. 『月刊 言語』, 16 (1), 37--45.
松沢哲郎 (1991).
『チンパンジーから見た世界』, 認知科学選書, 第23巻. 東京大学出版会, 東京.
松沢哲郎 (1995).
『チンパンジーはちんぱんじん: アイとアフリカのなかまたち』. 岩波ジュニア新書. 岩波書店, 東京.
スーザン・サベージ--ランボー (1993).
『言葉を持った天才ザル カンジ』. NHK出版, 東京.
岩淵悦太郎, 波多野完治, 内藤寿七郎, 切替一郎, 時実利彦 (1968).
『ことばの誕生: うぶ声から五才まで』. 日本放送出版協会, 東京.