『数学セミナー』3月号 セミナー日記

今年も終わりだ


12月31日(日)

いよいよ大晦日である。といってもあまり特別なことはない。大学の方は29日 から休みになっているが、一日に2、3回、メールをチェックするために大学の 計算機にモデムでログインすると、深夜でも学生の何人かが端末に向かってい る様子が想像される。それで、「おお、修論の提出を目前に控えた院生が泊ま りこみ態勢で頑張っているな」などと感心するのである。

わが家は、綺麗好きな妻のおかげで、大掃除といっても、いつもより念入りに 掃除をする程度だが、下手に掃除に手を出さない方がよい自分の仕事としては、 車を洗ってしめ飾りを付けること、および、子どもが掃除の邪魔をしないよう に監視すること(および自分で邪魔をしないこと)くらいである。

洗車用の洗剤がなくなりかけていたのでまず車用品の店に買い物に出かけたら、 ものすごく混んでいてえらく時間がかかった。車をピカピカに洗って正月を迎 えたいと、誰でも考えることは同じらしい。それにつけても日本人の綺麗好き はたいしたものである。一口に洗車用品といっても、じつにさまざまなタイプ の洗剤、ワックス、ブラシ、スポンジ、などがある。自分では、たまにしか洗 車をしないので、とにかく安いものを選んだ。

この、12月29日から1月3日までの間の6日間の休みの期間は、大学にこそ行か ないものの、休み明け早々に修士論文の提出期限がくるので、提出前に見てほ しい、という論文の下書きをいくつか持ち返っている。結局、家にいる間にそ れらに目を通さないといけない。自分の書きかけの論文にも手を入れないとい けないし、それやこれやで、6日間といっても非常に短かく感じられる。

12月は中旬に東京に出張して、海外の共同研究者たちとワークショップを行な い、そのまま彼らを関西に連れてきて話をしてもらったりしたので、彼らが帰っ てから仕事納めまでの数日の間に、たまってしまった雑用を片付けなくてはな らなかった。そのあおりをくって、年内に自分の論文を完成させることもでき なかった。もっとも、このワークショップでのやりとりからもらったコメント を反映させたく、一部修正をする必要も生じていたのだが。

1995年は(1995年も、と言うべきか)年の初めからいろいろなことがあった。 1994年の年末年始も1995年と同じように推移したと思うが、1995年の正月がど うであったかはあまり記憶にない。1995年の記憶は1月17日の「震災」以降か らしかないかのようだ。

あれからほぼ1年たって、近所でも家を建てなおす力のある人はすでに新しい 家を建てて住んでいるし、もうすぐ完成という家も目立つようになった。その 一方で、更地にすらならず、がれきが一部残っているままの土地もいまだにあ る。

復興はどの分野でも当初の予想より速いペースで進んだが、水道、ガス、道路、 鉄道などの公共施設のように目立つものはともかく、個人のレベルでは、この ように復興の程度の差は大きい。わが家の被害は軽かった方だが、食器棚のキ ズや本棚の欠けたガラスなどはそのままになっている。子どもが心に傷を負っ てしまって、夜を恐がるようになったなどという事例をよく聞くが、そのよう な徴候がわが家では見られないのは幸いと言うべきか。

マスメディアは1995年の初めこそ阪神淡路地区の状況をよく報道していたが、 時がたつにつれてそれは薄れていった。特にテレビの場合、3月に東京で大事 件が起きてからは、その方が「絵になる」というかのように、「報道」という よりはショーと化した扱いでこの事件に関連する事柄を伝える番組ばかりになっ てしまった。一部の地道な報道番組を除いては、「震災」のことは話題になら なくなってしまったのである。

その中で、定期的に復興の状況を伝えてきているニュース番組があることは救 われる思いだ。1996年の1月17日前後には、一時的にまた「報道番組」が増え るだろうが、復興には時間がかかる。ぜひとも数年がかりでその過程を記録し ていって全国に伝えてもらいたいと思う。

有名な歌手やコメディアンがよく、慰問というのも変だが、被災者の多い地域 に出かけていってボランティアの公演をしている。最近、「1周年」が近づく につれて、ふたたび来てもらいたい、とか、また行くことにした、というよう な話をよく耳にする。「こんなとき」だからこそ、演歌に聞きほれたり漫才に 笑いころげたりしたいのだろう。テレビというメディアも、「報道」の名の下 にショーを見せるより、いっそのこと、人々の心をなごませ、楽しませるよう なエンターテインメントに徹した方がよいのかもしれない。

被災地だからといって「お笑い」が敬遠されるということはないようだ。嘉門 達夫が呼ばれて行って、「小市民」の震災バージョンというのをびくびくしな がらやったらウケたという話がローカルの新聞に書いてあった。そのバージョ ンの中にあったように(概略だが)逆境にあってもギャグを飛ばさないといけ ない気になるのが(少なくとも関西の)小市民なのである。

この日記を書き始めるにあたって、前任者の日記をいくつか見せてもらったが、 まあ、軽いエッセイ風に書けばよいのだろうと思っていた。その月その月で思っ たことを気楽に書いていくつもりだったが、最初の原稿を書いたのが「震災」 直後だったので、結局その影響から逃れられなかった。実際に「震災」という 言葉を使うことはなかったが、この言葉抜きでは語れない日記になってしまい、 気がついてみると愚痴ばかりを言っている自分が厭になりもした。

もっとも、個人では日記をつけていないので、この一年間に思ったことの記録 が少しでも残ることになったのは自分としては有難い経験になった。給水車を 待望したこと、寒さをこらえながらの代替バスの列、がれきの間の自転車通勤、 こんなことは、書いておかないと数年後にはごく淡い記憶になってしまうかも しれなかった。

ギャグを飛ばすことがほとんどできなかったのが心残りだが、一年間にわたっ た小市民の日記もこれで終わりである。

(ぐんじ たかお/大阪大学, 言語学)